私のこれまでの人生で、一番無謀な挑戦をしたのは間違いなくネパール一人旅でしょう。もともと海外を一人で行ったことなかったですし、ネパールの首都も知らないし、ネット繋がるか知らないし、何語を話すかも知らないし。
情報が全くない状態で異国の地に飛び込むのは、なかなか勇気がいることでした。
とりあえず現金20万円だけ握りしめて、ネパールに飛びました。その物語をちょろっと番外編で綴ろうと思います。
空港での初声「オニイサン!」に騙され、初日に10万円を失う
アブダビ経由でカトマンズ空港到着!着いて最初にびっくりしたのは、空港内どこにいてもフリーWIFIが使えるということ。ネパールってこんなに通信環境が整っているのかと、結構びっくりしたのを覚えています。
ちなみに私、日本出国時から一つだけ決めていたことがあります。
それは、はじめに話しかけてきた人についていくこと。
どんな人だとしても、必ずついていくと心に固く決めておりました。
出国手続きを済ませて空港から外に出た瞬間、私の耳に、
「オニイサン!」
と聞こえてきました。
メチャクチャ日本語やないかい!と、心でツッコミましたし、振り向けば怪しい男性。少しためらってしまいましたが、自分で決めたことなので思い切ってついて行きました。
その男性は、日本に少しだけ滞在したことがあったらしくて日本語が話せたんだそうです。そのまま車に乗せてもらい、彼の経営する会社の事務所まで送ってもらいました。事務所に招いてもらって椅子に座るやいなや、大きな地図をバーっと広げて見せてきました。
エベレスト登頂しよう!というお誘いだったみたいで、ツアー会社なのかと理解。
とりあえずYES!の一声で商談成立。前払いだということで値段を聞くと10万円!
高すぎだろ!エベレストなんてそもそも登れるのか!?といえば、YES!と答えている。
2週間の長旅になるから、10万円も仕方ないかということで、即金で10万円支払い。
後で知ったのですが、他なら5万円くらいで充分だったそうです。完全にぼったくられました。
1ヶ月間の長旅なのに、初日で半額の10万円を失うというピンチを自ら招いてしまいました。完全にアホですね笑。
早速登山道具を一式買って、登山開始。ガイドさんと2人で2週間の登山生活を送ることになり、ちょっと寂しいな〜なんて思いながらスタートしました。
登山3日目、標高3500m付近で高山病にかかる。下山したら拉致られた。
登山生活は生まれて初めてだったのですが、こんなにハードだなんて思ってもいませんでした。1日1000mくらい登るなんて聞いてなかったですし、結構急な坂道だったので本当に体がヘトヘトになりました。
これが2週間も続くなんてヤバすぎる!と思いましたね。。
登山3日目、3500m付近まで登った夜、小さな小屋で寝ることになったのですが、心拍数が全く下がらず激しい頭痛に見舞われました。熱も出てしまったので近くの病院で診断してもらったら高山病だと。うん、多分そう言っていたはずだ(英語で話してくれたけどさっぱりわからず笑)。
翌日も全く良くならず、ガイドさんと話して下山しようという話になりました。急に標高を上げてしまったために体が順応できず、高山病にかかってしまったんだそうですが、マジで死ぬと思うくらいの激しい体調不良でした。過去最大のピンチだったのは間違いありません。
そんな中、現地のネパール人は一生懸命看病してくれて、自分よりも若い子供達が食事を運んできてくれました。本当に涙が出るほど嬉しかったですし、ネパール人の優しさに触れて心から感動しました。人を思いやる気持ちや、支え合いながら生きることって、やっぱり世界共通なんだと身をもって体感した瞬間でした。
症状が収まってから、2日かけて下山したのですが、よくよく考えたらネパールへきてまだ1週間。なのに所持金は8万円弱。登山が早く終わってしまったために所持金がピンチであることに気づく。
これは本当にやばい、あと3週間も生活できないんじゃないかと本気で不安に思っていた矢先、車の前に立っている男性2人に街中で話しかけられました。
ネパール人「※△■○×・・・???」
私「YES!(何言ってるかわからんからとりあえず)」
ネパール人「OK!」
私は両腕を抱えられえて、そのまま車の後部座席へ。そしてその男性2人に連れられて遥か彼方へ出発。
人生オワタ。
こうやって死んでいくのか。
やり残したことたくさんあったなあ。。。
山奥の農村で5日間の農作業。ヤギ・犬・ヒヨコとカレーの争奪戦!
ずいぶん長い時間車に乗せられていたのですが、ドンドン山奥に進むではないか。断崖絶壁の道をずっと進んでいくに連れて、ここから突き落とされるのか?と、絶望感でおかしくなりそうでした。
が、なぜかネパール人男性2人は私に対して超親切。
コーヒーをくれたり、ミネラルウォーターをくれたり、どういうことなのか。
時間が経つにつれ、だんだん悪い人には見えなくなってきた笑。
そして到着したのは、山奥にある小さな農村。10人くらいで生活している集落で、そこの家族に私は招かれたようでした。
なぜ自分がこんなところに連れてこられたのか?と片言の英語で聞くと、
「人手が足りないからお前に声をかけたんだよ」というニュアンスのことを言われ納得。
最初から英語で話さんかーい!!笑
ということで、この日から農作業を手伝うことになりました。
のんびり畑を耕したり、水汲みをやったり、牛にエサをやったりと、日本の田舎みたいな感じでした。
ネパールは1日二回の食事なんですけど、その家族が毎日美味しいカレーを出してくれました。もう本当に美味しくて、涙が出るくらいだったんですけど、そう簡単には食べれません。野良ヤギ、野良犬、野良ヒヨコ(?)が私のカレーをめがけて毎回寄ってくるんです。
かなり舐められてる。コイツならカレーを奪えると思ったのか、みんな一気に突進してくるんです。
周りの家族は大爆笑しているのですが、私は貴重なご飯を奪われるわけにはいかないので、蹴ったり殴ったりして追い返していました。そこで勝てば、ゆっくりとカレーを味わえるのですが、何度か負けて食べられました笑。こんな経験、もう二度とすることはないと思いますけど、貴重な体験だったと思います。
そんな毎日を5日間ほど過ごしたんですが、そろそろ都会に帰ろうと思いその家族に伝えました。すぐに快諾してくれて、バス停まで送ってくれました。小さい2人の子供とも仲良くなって、全員と最後の握手をした時に、なぜか涙が止まりませんでした。
自分は何も知らずにネパールの山奥に来たわけですけど、文明も全く発達していない場所で生きている人間と触れ合うことで、自分がずっと忘れていた感情がこみ上げてきたような感覚でした。人間本来の感情というか、混じりっ気のない感動がそこにはあって、人との繋がりがいかに素晴らしいものかを感じることができました。
帰国前日、最後の晩餐でまさかの食中毒事件
農村から首都のカトマンズに帰ってきてから、お金がないので極貧生活を送っていたのですが、ついに日本へのフライト前日まで来ました。
いろんな出来事がありすぎてめちゃくちゃ濃い1ヶ月だったんですけど、最後の晩餐ということで、少し高級なお店で夕食を食べることにしました。
いいお店ないかな〜と思って街中をブラブラしてたんですけど、美味しそうなステーキ屋さんがあったので即決!
(今思えば、ヒンドゥー教であるネパールで、牛肉のステーキってよかったんでしょうかね笑)
しかもアホなことに、レアステーキを注文。
めちゃくちゃ美味しいんですけど。
嫌な予感。
そこから猛烈な腹痛に襲われました。ホテル(と言っても一泊300円のドミトリー)に帰ってから、全く動けなくなってしまったんですね。少しでも動けば、お腹に鈍痛が走るのでうずくまって過ごすしかありませんでした。明日のフライトに乗れなければ、お金もないし、俺はネパール人になってしまうな〜なんて思いながら。
幸いにも、ホテルのオーナーさんが薬を持ってきてくれたので、それで腹痛は収まりました。現地の病気は現地の薬が一番効くものだと、この時初めて知りました。
そして翌日、地面をはいながらカトマンズ空港にたどり着き、なんとかフライトに乗って帰国することができました。
カトマンズ空港に着いた時、すでに所持金は72円。
所持金も命もギリギリの旅でしたが、尋常じゃないくらいの充実感でいっぱいでした。お腹は痛かったんですけど、それ以上に達成感がすごくて、ランナーズハイのような感覚に襲われました。ああ、海外一人旅の醍醐味って、こういう感覚を体験できることなんだろうなと思いましたし、今後の人生は相当面白いものになるだろうなと感じました。
私はこれを20代で経験できたことが、何よりの財産だと思っています。30代でももちろんOKですが、こういう経験は若いうちにしておいた方が絶対いいと思います。私はこの1ヶ月で人生が変わり、次の不動産の職場では営業NO.1を獲得するほどのバイタリティを手に入れることができました。
仕事ができる人間になりたい!とか、魅力的な大人になりたい!という人は、ぜひ海外一人旅へ。もし難しかったとしても、今までやったことのないことにチャレンジしてみてください。必ず人間として成長できますし、魅力的な人間に近づけると思いますよ。